2019/12/19

[小説]黒熊亭の冒険者たち 1-1 物語の始まり

 目を開くと、そこに見慣れた部屋はなく、一寸先も見えない闇が広がっていた。

 気温が急激に低くなった気がした。古い倉庫の中に立ち入った時のような湿った重い空気が鼻腔を衝き、思わず顔をしかめる。


 先ほど仕事から帰ってきた私は、シャワーを浴び終えたところだった。

 行きつけの店で夕食用に買った唐揚げ弁当を楽しみに、アース・ウィンド・アンド・ファイアーのセプテンバーを鼻歌で口ずさみながら、青地にチャーミングなシロクマちゃんがプリントされているタオルで顔を拭いていた…はずだった。


 最初はあまりにも唐突すぎる場面転換に意識が追い付かず、ブレーカーが落ちたのかと疑った。

 しかし、それにしては様子がおかしい。

 暗すぎる。真っ暗だ。窓から差し込む光で部屋の様子ぐらいはおぼろげにでも見えていていいはずだ。

 何よりこの空気感の変化がおかしかった。鼻と皮膚が「おい、通常ではあり得ないことが起きているぞ!」と脳に告げていた。


「タオルで顔を強くこすりすぎたからか!?」と焦り気味に呟く。

 何らかの原因により脳の視覚野にダメージが発生したのかもしれない。徹夜が続いた時など、視界がボヤーッと霞んで頭痛が起きたりしたことがある。アレの酷いやつでも起きたのだろうか?

 必死に直前の記憶を遡りながら、顔や体を手でペタペタと触って状況を把握しようとするも、視界がないことと肌寒いこと以外には身体にまったく異常が見出されず、そして事態は一向に改善される気配がなかった。


「待て待て待て、落ち着け、ここは5年も住んでいるワンルーム、間取りや物の配置はしっかり覚えている、目が見えない以外には何も異常がない、ひとまずソファに腰かけよう、救急車に電話だ」と自分を落ち着かせるように状況を整理しながら、手探りで部屋を進むことにした。

 ところが一歩目から疑惑は確信に変わった。フローリングではなく、石のような冷たい感触が足の裏に感じられたのだ。

 しかも転ばないように壁に片手を預けようとしたら、明らかに建築材ではなく、滑らかな凹凸のある石質の壁に触れた。

 もしかして視界を失ったのではないのではないか? 理由は知らないが、テレビ局などによる大がかりなドッキリを仕掛けられていて、シャワーを浴びている間に部屋ごと移動させられてしまったのだろうか。ともかく今の私は自分の部屋にいないのかもしれない。


 混乱しながら石壁と地面を手で調べる。どうも人一人が通れる程度の洞窟の通路のようなところにいるように思われた。

 背後は行き止まりだったので、石壁を頼りに一歩ずつ進んでいく。

 中腰で暗闇の中を徘徊するパンツ一丁のアラサー…とても絵になるとは言い難いが、読者にはもうしばらく我慢していただきたい。


 道は曲がりくねっており、微妙に傾斜があった。10分ほど緩やかな登坂を進むと、微かに灯りが見えてくる。外だ!


 やがて開けた空間に出た。洞窟よりは明るいがどうも今は夜らしい。しかもここは森の中だろうか? 虫の鳴き声が聞こえてくる。

 少し離れたところに強い明かりがあったので、目を凝らした。焚火だ。人影らしきものもあるじゃないか。近づいてみよう。
 
 そろそろと背後から伺うと、人影の正体が次第に明らかになってくる。

 最初、体の輪郭がおかしかったので、アメフト選手がキャンプでもしているのかと訝しがったが、そうではなかった。輪郭が人間のそれではないのだ。おまけに言葉も聞きなれない。なんというか…蛇が威嚇するときの音のような声を発していた。

 私は不安に感じる。得体のしれない怪物たちがそこにいるような気がしたからだ。

 しかし何を食べているのかまでは分からないが、焚火と鍋で調理している辺り、知性や文化を有していることは伺えた。

 仮に怪物だったとしても、彼らに加工済みの道具を提供し、その使用方法を理解させるぐらいの存在があることには違いない。

 また知性を裏付けるものとして、独特の擦過音とともに明らかに文法があると感じられる音声を発していたので、「声をかければ、もしかしたら助けてもらえるかもしれないな」と淡い期待を抱いた。


 さらに一歩進んでみる。怪物の爛々とした瞳と目が合った。

 営業仕込みのくだけた調子で苦笑いをする。届いて欲しい。この切なきSOS信号。


 怪物は視線を外した。じっくりと考え込むように俯いたかと思いきや、黄色い双眸をカッと見開き、ものすごい勢いでこちらを二度見する。

 そして急いで立ち上がると、私には分からない言葉で仲間たち(?)に声をかけた。

 その反応も当然だろう。誰にも邪魔されない空間で、仲間と夕餉を囲みながら談笑していた時に、ふと視線を物陰に向けたらそこにパンツ一丁のオジサンがニヤニヤとしている…そんな事態に陥れば誰だって過剰に反応する。

 私だったら「ひゃん」と悲鳴の一つでもあげている。

 仲間と思しき2人(?)もその声につられ、慌てて立ち上がると、こちらへと振り返った。

 焚火の照り返しを受けて、怪物の全貌がハッキリと見えたが、私は「助けてもらえるかも」などと呑気な考えを抱いていた先ほどの自分を呪った。


 まず3人とも恐ろしく体格がよかった。いずれも2mは軽く超えていそうな上背だ。

 さらに肩や頭のあちこちから「俺に触れると危険だぜ?」と言わんばかりの棘がそそり立ち、しかも片腕が私の太ももぐらい太く、全体的に筋骨が発達していた。

 体格が異常なだけ…ならばまだいい。何よりも私の心を折ったのは、その絶望的なまでに獰猛な顔つきだった。

 鰐ほどではないがグッと前に突き出た口、鋸のようにギザギザに尖った歯。いずれも特殊メイクにしてはあまりにも堂に入っていた。

 水族館で初めて鮫を間近に見た時の、あの不気味な感じに近い。つまり単に私が見慣れていないだけで、あくまで自然が作り出した「トカゲ男」とでも言うべき悪魔的な造形をしていたのだ。

 とてもではないが、彼らが迷える子羊を救ってくれる慈善団体の一員には見えない。どちらかと言えば、迷える子羊を丸焼きにして、ゲタゲタと笑いながら酒のつまみとして楽しむタイプの生き物に見えた。


 あまりの衝撃にやり残した仕事、彼女のこと、「実家で飼っていたらいいな」と空想していた愛犬フォイエルバッハのこと…様々なイメージが脳裏をよぎった。

 現実逃避のためにしばし呆然としていると、「自分たちを脅かす存在ではない」と警戒が解けたのか、最初に目が合ったトカゲ男が一歩前に出た。


「ひゃん」と私は尻もちをつく。情けないとは思わないでいただきたい。これでも大学の頃は学生プロレスに所属していたし、筋トレをライフワークにしているのだ。通勤中に揉め事を目撃した時に仲裁を買って出られるぐらいには腕っぷしに自信があった。

 だが、トカゲ男は足元に立てかけてあった巨大な銛のような武器を手に取ったのだ。こちらはただでさえ混乱しているのに、武器を持った巨体の怪物が近づいてくる。これが怯えずにいられようか?

 しかも私はパンツ一丁だ。繰り返す。私はパンツ一丁だ…!


 動悸が激しくなり、手汗をビッシリと掻きだす。シロクマちゃんタオルを握る力が強まった。

 そして尻もちをついた態勢のまま懇願するように片手を前に突き出しながら、「アイムソーリー…アイムソーリー…」と口をパクパクさせるばかりで身動き一つできなかった。

 そもそも英語は通じるのか? 今すぐ逃げるべきではないか? しかし一体どこへ? さっきの洞窟は? いや行き止まりだ、立ち上がらなければ、ああ、もう目の前に! フォイエルバッハ…!
 
 私は目を瞑った…。


 ヒュッと風を切る音とともに「グゲッ」という呻き声が聞こえた。

 恐る恐る目を開ける…。なんだ? トカゲ男のこめかみに棒のようなものが生えている? それは映画のワンシーンで見たことがある矢に似ていた。

 次の瞬間、その矢のようなものは強く発光し、テスラコイルの放電現象さながらバチバチと輝き出すと、まるで電気製のピラニアの群れのようにトカゲ男に噛みついた。

 おそらく脳の神経を焼き切ったのであろう、トカゲ男は受け身をとることもなく背中からドシンと崩れ落ちる。


 仲間のトカゲ男2人(?)は何が起こったかを理解できなかったようで、周囲を見回しながらうろたえていたが、最初のトカゲ男と同じように矢が頭に突き刺さったかと思うと、雷撃にうたれ、崩れ落ちた。

 何がなんだか分からなかった。


「危ないところじゃったな」
 しわがれた声が後ろから聞こえてくる。振り返ると、そこには中世風の騎士のコスプレをした男がいた。


 私は目じりに涙が溜まっているのと、緊張が解けたせいで、股間が生暖かくなるのを感じていた…。

 思い出すのの憚られる、何とも情けない物語の始まりだった。

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